3月16日に大好きだった父が88歳で亡くなりました。
長い闘病生活、本当につらかったね。お疲れ様。
いつも「大丈夫や」「ぼちぼちや」と言っていた父。
入院する前の日は、だるそうにしながらも、ひ孫の出産祝いだといって、祝儀袋を用意して渡してくれました。
翌日からの入院生活は、発熱、腸の腫れ、腹水から始まりました。
一時は退院の話がでて、弟と私は自宅に戻れると信じていました。
でも、やっと開かれたカンファレンス前に面会した父は、到底自宅で暮らせる状態ではありませんでした。
自分で立つことができなくなっていたのです。
それでも2日後に退院と支援ナースに言われて、弟も同席したケアマネジャーも唖然としました。
たった一日で、ヘルパーや訪問看護士を手配できるわけがありません。
私は、自宅へ戻れないなら、施設に移してホスピスで最期を過ごすことを希望しました。
同席した父は、「家族には迷惑をかけたくない。」ときっぱり言いました。
ケアマネさんに協力していただき、入所できる施設を見つけることができました。
私の施設への条件は3つでした。
@ 希望するホスピスにつなげることができる訪問診療がはいっていること
A 弟が随時面会できて、たくさん父とすごせること
B 遠方の私が父の顔をみれるようにWEBカメラの設置可能なこと
ケアマネさんから事情をきいていた施設の方は、全部OKしてくださいました。
父に話をすると、「退院証明書とらなあかんな。」ととてもうれしそうでした。
ホスピスの面談予約も取れました。
カンファレンスの少し前から癌末期特有のせん妄がひどくなりました。
この話はまた別の機会にしますね。
これで少しは安心かと思っていた矢先、呼吸困難になったと連絡がありました。
私は急いで新幹線で向かいました。息子も一緒に行ってくれまいた。
そこには、酸素マスクをして辛そうにしている父の姿がありました。
肺に水がたまったのです。
弟、息子、私で交代で手を握ると、表情が少し和らぎました。
弟と病院に泊まり込んで2日目。
やっと主治医に会えました。
「この先どうなりますか?」と質問すると
「こちらで最期まで看取らせていただきます。あと24時間から48時間くらいでしょう。」
そこから亡くなるまでの間、父は「楽になりたい。」と言うようになりました。
最期に好きなゼリーを食べて、翌日の朝、なくなりました。
寝台車の運転手さんにお願いして自宅によっていただきました。
やっとうちに帰れたね。
弟と私は、父の大好きだった時代劇のDVDをつけて、父の写真を介護ベットに飾りました。
「なんで死んだんや。」と泣く弟。
私の遠距離介護はこうして終わりました。
帰ってきたら、郵便物と仕事の山。
まだエンジンは、なかなかかかりません。
落ち着いたら、癌末期の親との過ごし方をお伝えできればと思います。
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